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【募集終了いたしました】松本さんが、Aleph(アレフ)を訴えた裁判における裁判長の松本さんに対する先入観・予断と偏見に基づくと思われる言動及び証拠調べの不公正さに対して提起した裁判に支援をお願いします。

松本さんが、Aleph(アレフ)を訴えた裁判における裁判長の松本さんに対する先入観・予断と偏見に基づくと思われる言動及び証拠調べの不公正さに対して提起した裁判に支援をお願いします。

こんにちは。一般社団法人共にいきる代表者鈴木邦男です。

松本麗華さん(以下では、松本さんといいます)から、ある裁判のサポートについて相談がありました。

松本さんは以前、宗教団体Alephを名誉毀損で訴えていました。

しかし、この裁判を担当した裁判長は、松本さんに対して後述するようなおかしな発言を繰り返し、まともな裁判を行いませんでした。
理由は、裁判長が抱いていた先入観――偏見にあったようです。

松本さんは教団にいた未成年のとき、多くの報道被害を受けています。中には、松本さんを犯罪者扱いするものまでありました。

松本さんはどんなにひどい報道をされても、当時の教団の人に「未成年は裁判を起こせない」と言われ、泣き寝入りをするしかありませんでした。

裁判長は、16歳で教団を離れた松本さんについて、「正大師だし」「影響力があった、それは問題ないんじゃないか」「(松本さんが載った)フライデー持っています」「テレビで昔見たイメージ」「写真とか見たイメージ」「本もとっておいて捨てないで、フラッシュだったかな」「ようやく役立つ、だから張り切って」といった発言を行い、“法廷で示された事実と証拠からのみ判断する”という裁判の原則を踏みにじる予断と偏見を隠しませんでした。

結果は松本さんの敗訴。

松本さんが話していた中で最も気になったのは、自分に対する予断と偏見及び松本さんから提出した証拠の無視、あるいは、提出した重要な証拠に対する評価がなされていなかったりした点です。さらに、裁判所は、Alephの提出した信者の陳述書のうちの大部分を「これらはまあいいでしょう」として、松本さんにこれに対する反論をする機会を与えず、したがって、反論ができなかったまま裁判を終結しました。ところが、実際の判決を見れば、それらの証拠が使われていたと言います。

松本さんは、「このような裁判はおかしい」と思い、国と裁判長を提訴しました。 

私が松本さんから相談を受けたのは、提訴後のことです。

松本さんの相談は、今後裁判官が同じように先入観を持っているのではないかと思われる言動を示し、予断と偏見をもって裁判を行うことがないように、社会の皆さんに関心をもっていただき、この訴訟をサポートしていただけないか、といったものでした。

私は話を聞いて、そこまでひどい裁判官がいるのかと驚いてしまいました。
裁判官が予断と偏見に基づいて裁判をすることは、許されてはならないことです。このような裁判官に当たったら、きちんとした裁判を受けることなど望むべくもありません。

同時に、不当な裁判による被害者は、松本さんだけではないのだろうと思いました。公平中立であるべき裁判所による独断や偏見、差別的言動を許してしまったら、今後も松本さんのような被害者が出てしまいます。

私はこの裁判について、松本さんを何かサポートできることはないかと考えました。その結果、長期かつ多額にかかる裁判費用について、趣旨を広く理解していただきながら、当社団法人でクラウドファンディングを立ち上げ、支援をすることにしました。

一般社団法人共に生きるは、松本さんのように過去において報道被害にあい、過去の所属を理由に、また、生まれによる差別を受けている人に対し、裁判官が予断と偏見で審理を行い、判決を下すのを少しでも減らしたいという思いから、この裁判を支援したいと考えています。

どうぞご支援のほど、よろしくお願いいたします。

こんにちは 松本麗華です。

わたしはこれまで20年ものあいだ、松井先生の支えを受けながら、生きてきました。
松井先生は裁判だけでなく、困ったことがあれば相談に乗り、落ち込んでいたら励まし、わたしを支えてくださいました。

あと3年経てば差別はなくなり、自分の力で生きて行けるだろう。松井先生と出会ったころはそう思っていたのに、5年、10年と続き、気づけば20年を越えていました。

その途方もない時間、松井先生に様々なご迷惑をおかけし、ご無理を強いてしまいました。

松井先生がいらっしゃらなければ、わたしはいまだに、人殺しや犯罪者のように扱われていたでしょう。
高校や大学に行くこともできず、マスコミに隠し撮りをされ、報道されるたびに仕事を失う生活を、繰り返していたかもしれません。

――いいえ。わたしはそんなには強くはない。

希望も何もなく、心身をヤスリで削られ続けるような人生であれば、とっくに生きることをあきらめていました。

今わたしが生きていられるのは、少しでも前を向いて歩もうと思えるのは、つらいとき、苦しいとき、松井先生が支えてくださったからです。

一方で、松井先生はわたしや兄弟姉妹を支えるために、ご自分の人生を犠牲にされました。わたしや父の弁護をしたからと依頼を断ってくる人もいたそうです。

でも、わたしは思います。わたしの弁護士をしてくださる方は、差別や偏見によることなく、どんな弁護士より素晴らしい理念をお持ちだと。決して見捨てることをなさいません。
松井先生からはじめて手を差し伸べられたとき、わたしは怖くて信じることができませんでした。わたしを助けてくれる人なんているはずがない。わたしを助けようとする人はみんなひどい目に遭うから、この人もまた手のひらを返してどこかに行ってしまうに違いない。と。

ところが松井先生は、称賛も誉れもなく、ときには罵倒されながらも、わたしたちが生きて行くために必要な力を貸してくださいました。
わたしは松井先生が歩めたはずの人生をいただき、生きてしまっています。

しかし、これまで心身だけでなく、裁判を担い、わたしを支え続けてくださった松井先生に、それに見合うだけのお支払いができていません。また今回は、ありがたいことに他にも一緒に闘ってくださる弁護士さんがついてくださいました。

わたしは今、裁判官と国を相手として訴訟を起こしています。

そこで、今回のご支援をお願いしたいと考えております。どうぞよろしくお願いいたします。

 裁判のことなので少々ややこしいところもありますが、なぜこの訴訟を起こすことになったのかご説明させていただきます。

【裁判の概要】

裁判所.jpg

 

<元の訴訟>

今回の訴訟の元となった裁判は、わたしがAlephを名誉毀損で訴えたものです。

Alephの最高幹部が電子掲示板でわたしを「悪魔」として、以下のような投稿を次々に行ったのが、ことの発端です。

「三女の指示や、三女へのお伺いなしで教団が動いたことは無い」と主張したかと思うと、「○○(注:上の弟の名前)は悪魔のもとにずっととらわれの身なのです」と、わたしが弟を監禁しているかのようなことを書き、わたし自身については「気が狂っている」とまで記しています。

ほかにも、わたしが行っていない、犯罪行為に該当するような「悪行」も並べ立てていました。

さらにその最高幹部は、
「信徒にも三女がいかに気が狂っているのかを話す時期に来ている」「全体・個別に三女の悪行を話してください」と、わたしに対する「悪口」を、多くの人に広めるよう指示しました。

多くの人に広められたら、今までそうであったように、裏付けも取らずにマスコミが報道し、公安調査庁も利用するかもしれない。わたしはAlephとは対立関係にあるのに、なぜかAlephの一員のように主張されることがあります。
内容がひどいことはもちろん、内部告発として扱われたら、わたしはこの社会で、今まで以上に偏見と差別に苦しめられる生活を強いられることになってしまいます。

 わたしは、その最高幹部とAlephを名誉毀損で訴えました。
これが、<元の訴訟>です。

 

<今回ご支援をお願いする訴訟>

今回ご支援をお願いする訴訟は、<元の訴訟>の第一審の裁判長をつとめた裁判官の審理中における言動が名誉毀損にあたるとして、国と裁判官を相手に起こしたものです。

日本には、国家賠償法という法律があり、公務員の違法行為については国が責任を負うことになっています。わたしは、裁判官にも責任があると思ったので、裁判官も被告にしました。

被告の裁判官は、審理開始から終わる前までの間に、

「影響力があった、それは問題ないんじゃないか」
「普通は(影響力あると)思うからね」
「正大師だし」
「(注:わたしの過去の記事が載っている)フライデー持っています」
「テレビで昔見たイメージ」
「写真とか見たイメージ」
「本もとっておいて捨てないで、フラッシュだったかな」
「ようやく役立つ、だから張り切って」
「姫ご乱心」

というような発言をしました。

わたしは教団を離れるまで、未成年は報道被害と闘えないと教えられていました。

裁判で反撃すらできなかった幼いわたしは、マスコミによって好きなように面白おかしい話をつくられ、次々と虚偽の報道をされました。存在すら知らなかった人を、殺せと命じたと報じられたこともあります。
この裁判官が、テレビや写真、フライデーで、どのような情報を得ていたのかはわかりません。しかし、発言から昔の誤った報道に影響され、強い先入観を持っていたのは明らかです。

なぜ、裁判官は黒い服を着ているの?

ニュースやドラマで出てくる裁判官はみんな黒い服を着ていますが、実際の裁判官も同じです。これは規則で、黒い法服を着用することになっているからです。法服が黒と定められた理由には諸説ありますが、何物にも染まらないという中立性を示すためという説が多く述べられています。裁判官が情に流されたり、片方の意見だけを聞いて判断したりしたら困りますので、この説は説得力があります。

「姫ご乱心」という言葉は、複数回、裁判官の口から出ています。
この「(ご)乱心」という言葉は、端的に言えば「気のくるうこと。狂気」(広辞苑)を意味します。裁判官が、わたしを「狂った人」と偏見をもって、裁判を行っていたことがわかります。

週刊誌記事.jpg

姫、ご乱心.png

一般人の普通の注意と読み方からすれば、「姫」という以上、教団内部の人間であることが前提となっており、その「姫」が発狂して教団に対して裁判や騒動を起こしている、ととられるでしょう。

この裁判官はさらに、公開の法廷で、「Alephから悪魔と言われたとしても社会的には名誉が上がることはあっても、名誉が下がることはない」とまで言いました。

悪魔と呼ばれたら.jpg

「え、それってどういう意味?」

一瞬わたしはわけが分からず、次の瞬間、傍聴席からは笑いが起こっていました。

「この笑いって、裁判官が言った『Alephから悪魔と呼ばれれば名誉が上がる』と言ったのに対して起こったの?」 

わたしは混乱しました。

「わたしがなぜ訴訟まで起こしたのか、この裁判で何を訴えているのか理解していないの?」
「わたしがいかに精神的に追い詰められたか分かってないの?」
「悪魔と言われることの意味が分からないの?」
「教団を支配しているのがわたしだという嘘が、人生をどう破壊するか想像できないの? 裁判長がアレフを支配していると言われたら、とは想像してくれないのだろうか?」
そうして、思ったのです。

「もしかしてこの裁判官は、自分の集めた写真週刊誌の中にわたしをはめ込み、電子掲示板の書き込みを見ているのだろうか? マスコミが流した三女、アーチャリー像でしか、わたしを見ることはないのだろうか……」
と。

この裁判官には、ほかにもおかしなところがありました。母に対する証人尋問に関すること、姉に対する尋問時間に関することです。

既に述べたように、わたしはAlephの最高幹部の電子掲示板への書き込みが名誉毀損だと訴えたところ、Alephは、電子掲示板への書き込みは仮に名誉毀損に当たるとしてもそれは真実だと主張しました。要するに、Alephを支配していたのはわたしだということを主張してきたのです。

これに対してわたしは、Alephを実際に支配していたのは母であり、母がすべてを行ってきたのだという事実を述べました。そのため、この裁判ではわたしと母の関係が重要になりました。

わたしと母との関係がどのようなものだったのかを法廷に明らかにするためには母を証人尋問し、立証する必要があります。

わたしは、母を証人として申請しました。当然、裁判所も母の証人尋問は重要だという認識を持っていました。ただ、Alephは母の証人申請をすることはありませんでした。

裁判所は母に証人として出廷するよう呼出状を送ったと言いますが、母からは代理人を通しても裁判所にも何も連絡が来ず、松井先生は「証人として呼ぶためには勾引状を出してもらうしかないだろう」とおっしゃっていました。ただ、「裁判所がそこまでやってくれるかはわからない。仮に申し立てたとしても、おそらく裁判所はそんなことしないだろう」とも。

結局最後まで、母から出廷するとの連絡が来ることはありませんでした。そこで「どうしますか」と裁判所から問われ、やむなく母の証人尋問の請求を取り下げました。

裁判所が母の証人としての重要性を認識しているなら、なぜもっと出頭を促すことはできなかったのか、Alephの代理人はなぜ説得しなかったのか、また、できなかったのか、なぜAlephは説得しなかったのか、また、することができなかったのか。

裁判所は本当に母の尋問を行うつもりがあったのでしょうか。

裁判所は一般的に、法廷での尋問を行う審理に消極的であると言われることがあります。書面だけで審理を行い早期に審理を終わらせたがることがあります。
証人尋問には時間がとられるため、裁判で争いの的となる争点を絞り込み、呼び出す証人をできるだけ少なくし、尋問時間も短くする傾向があります。裁判所には裁判所なりに言い分があるのですが、他方で、当事者からすれば、それしか立証方法がないので、あるいは、当事者にとっては重要な証人なので尋問を行うことを要求するのです。

では、この裁判官が母を呼ばなかったのは、上述のように裁判を早く終わらせたかったからなのでしょうか。

それは違います。

裁判長は、「Alephの広報部長(注:裁判長は実際は実名を使っています)はどうなんですか、有名だから」といったことを公開の法廷で被告に促し、被告もこれに呼応して証人として申請し、裁判所は広報部長を証人として採用したのです。
母に対する尋問をやらずAlephの広報部長など法廷に呼んでも、この裁判の重要な争点であるわたしと母の関係について、証言することなどできるはずもありません。

さらに、姉が証人として出廷し、姉のあとにわたしが本人尋問を受けるはずであった日、松井先生が姉に対する証人尋問をほぼ時間通りに終わらせると、Alephの代理人が、姉に対する反対尋問をはじめました。

しかし、いつまで経っても終わりません。まるで時間を延ばしているかのように、要点を得ない質問を繰り返しているとわたしは感じました。姉も疲れ果てていくのが見ていてわかりました。

証人尋問や反対尋問は、あらかじめ何分間行うのかが、はっきりと決まっています。無制限の尋問は、裁判所の訴訟の運営等という観点等から制限されているそうです。

尋問時間は尋問する当事者が聞きたい内容を精査して、それにかかる時間を裁判所にあらかじめ伝えておき、これを踏まえて裁判所がその権限で何分間の尋問を行うかを決めます。多少のオーバーは裁判所もあまりうるさく言いませんが、わたしの経験上も尋問時間についてはかなり厳しいと感じることがあります。

しかし、Alephの代理人は時間が来ても尋問を終えず、裁判長もなんら制止することはありませんでした。

そうしてAlephの代理人は、決まっていた時間のおよそ2倍もの時間、姉に対して反対尋問を続けました。

さらに、姉の反対尋問が長引いたため、わたしに対して行われる予定であった本人尋問を行うことができなくなってしまったのです。そのため、わたしの本人尋問のために、もう1日裁判期日が取られました。

尋問時間が決まっているところでおよそ2倍もの時間を費やすことを許容することは、前述したように通常はあり得ません。

代理人は時間がオーバーしないよう気をつけますし、尋問時間が予定より長引いた場合、裁判長が「あと何分かかりますか」「すでに時間はすぎていますが」と、尋問を打ち切ろうと警告するのです。
わたしが経験した別の裁判では、数分オーバーしただけで、裁判長から尋問をやめるよう指導が入っていました。

松井先生は、後日「こちらが自信を持って送り出したねーちゃん(注:わたしの姉のことです)なので、あの反対尋問なら十分に耐えられるだろうし、耐えられれば証言の信用性は高くなる。ただ、実際にやめさせることができるのは裁判長しかいないので、適当なところで止めさせるだろうと思っていた。だが、そうではなかった。
裁判官はおそらくですが、ねーちゃんがあなたと姉妹の関係にあるゆえに、Aleph代理人にねーちゃんの証言が信用できるのかどうか、さらに、あなたに有利な証言が弾劾されてしまうのか、また、母親の証人としての必要性を否定するための材料を探していたのかも知れないですよね」
とおっしゃっていました。

このような裁判官が、裁判を行う。どこまでも不条理が通る世の中なのではないかと不安でたまらず、その後、わたしは体調を崩して自宅静養を医者から命じられることになりました。

さいたま地裁.jpg

さいたま地方裁判所(最高裁判所ホームページより)

このような裁判官に、当然、まともな判決など望むべくもありませんでした。

繰り返しになりますが、裁判所は、Alephが証拠も出していないことを事実と認定したり、Alephの提出した信者の陳述書を「まあ、いいでしょう」として証拠として扱わないとしたため(注)、わたしが反論等は必要がないと思っていたところ、その陳述書(の一部)を証拠として使いました。わたしにとっては考えられない認定が行われました。普通でもこのようなことが起こることはないと思います。

判決とわたしが控訴審に提出した控訴理由書、その後の準備書面を見れば分かるのですが、わたしに有利な多くの証拠が無視され、「弁論の全趣旨」が多用されていました。

そうして、わたしは敗訴しました。

証拠に基づいて裁判が行われていたら、とてもあり得ないような判決でした。

※注

Alephは極めて多数のAlephの信者の陳述書を証拠として提出してきたのですが、裁判官は、そのうちの大部分を「まあこれらはいいでしょう」と、審理の対象、証拠調べから実質的にはずしました。仮に、そのような訴訟指揮が行われなければ、わたしはその全部の陳述書について、事実に誤りがあるとか、陳述が不当であるとかについて個別具体的に必要がある限り主張したことは当然でした。
しかし、実際に判決では、裁判官自身が審理の対象、証拠調べから実質的に外した陳述書を用いて事実を認定したと思われる箇所が複数あります。

裁判所は、原則として当事者が法廷に出した事実と証拠に基づいて、公正に裁判を行わなければなりません。事実と証拠に基づいて行われる裁判だからこそ、わたしたちは裁判というものに対し信頼を寄せることができるのではないでしょうか。裁判所には人権を守るための最後の砦であってほしい。

今回の裁判を通して、―今更ながらというべきか―裁判というのはこんなにも予断と偏見に基づいて行われるのだと愕然としました。

「予断と偏見を持っている裁判官などどこにでもいるじゃないか」
というご指摘があるかもしれません。

しかし、この裁判官は、内心にとどまらず、公開の法廷でも露骨に予断と偏見を持っていることがわかるような言動を行ったのです

わたしは、この裁判官のもとでは何が起こるかわからないと、恐怖と不安に苦しみながら、証拠をそろえ、わたしの言いたいことを明らかにする陳述書を書き、闘いました。予断と偏見を払拭しようと懸命に努力しました。
過去の報道ではなく、現実のわたしを見てほしい。証拠を見て、公正に判断してほしい。そう願っていました。
この裁判官に対しては何をしても無駄だということを、知らなかったからです。

わたしは、敗訴したため、控訴しました。

しかし、控訴審の裁判官は、松井先生が弁論(主張)を補充するために弁論の機会をもう一回、1期日とってもらいたい旨事前に書面を出し、それを法廷で述べたところ、あたかも松井先生が原因でこの裁判が長期化しているかのようなことを法廷で言ったそうです。

松井先生によれば、
「『この裁判は長期化している』って言われたんだけど、おれのせいじゃないだろう」と思ったそうです。

わたしも、驚きました。審理の内容を考えれば、長期化と言われるほど長くは続いていませんし、長期化したという評価をするなら、その責任は、第一審の裁判長の訴訟指揮にあります。
定められた時間内に尋問を終わらせず、別期日を取ったこと、母との関係で無関係な荒木氏を証人として採用しまた訴訟を延ばしたことなどについて、わたしに責任はありません。
しかし、裁判所は、その責任さえも、わたしと松井先生に負わしたのです。

「弁論の全趣旨」って何?

弁論の全趣旨とは、証拠調べの結果以外の口頭弁論にあらわれた一切の資料、例えば、「当事者、代理人などの主張、態度、顔色までも含」めたもので(最高裁判所判例解説の昭和36年版の109頁)、判決の基礎にしてもよいとされているものです。

 

この定義によると、裁判所が「代理人の言動が悪く、気に入らない」と思ったら、「弁論の全趣旨」で、敗訴判決を書いても構わないということになります。弁論の全趣旨だけで判決を書いても違法ではないというのが裁判制度上の通説です。

 

これだと、「弁論の全趣旨」で判決を書かれることをおそれ、裁判所の顔色を伺うだけの弁護士が出てきてもおかしくありません。

 

判決書でよく見られるのが、「事案の概要」などという項目(段落)に「弁論の全趣旨」との文言を1回だけ用いているものです。しかし、わたしの判決書は、なぜだか、多くの事実認定の各部分で、これでもか、というくらい「弁論の全趣旨」が記載されていました。

 

今回の裁判長の裁判で裁判所はどれだけ信じられるものなのかという不安が強くなってしまいました。

しかし、わたしには生きて行くために、事実と証拠に基づいて判断をするといわれている裁判所に、助けを求めるしか方法がありません。

いくらブログやSNS等で思いを述べても、わたし自身ではなく、身体の中に流れる血によってわたしを見ている人がいる以上、父の子としてしか見られず、何を書いても信じてもらえないからです。

現にわたしは、「松本さん」や「松本さん」ではなく、「松本元死刑囚の三女」「三女」「麻原の三女」等といまだに呼ばれています。少なくとも、私が著した『止まった時計』では実名を明らかにしており、ブログやSNSでも実名を明かしています。なぜ実名で呼んではもらえないのでしょうか。

「松本」の人生においてわたしは父の付属物ではないのです。

わたしは裁判にしか、その救済を求めることができません。わたしがこの裁判を提訴した理由を理解していただければ幸いです。

<松井先生からのメッセージ>

初めまして、弁護士の松井武です。メッセージを出すために上記の文章を読ませていただきました。「いろいろ書いてくれたな」という感じです。まあ、いいか。

ところで、オウム真理教関連事件についてのAlephに対する世間の見方は、厳しいものがあるんだと思います。

しかし、Alephに対する見方は、―おそらく、おそらくですが―その構成員がオウム真理教関連事件と関係がないことを考えると、何年後かは分かりませんが、時、そして時代と共に変わる可能性があると思います。

しかし、松本さんを含めて故松本智津夫(麻原彰晃)さんの子は、5年経っても、10年経っても、また、20年経っても、つまり、一生涯「松本智津夫(麻原彰晃)の子」「親が松本智津夫(麻原彰晃)」なのです。

そのことはまさに、「逃れられない過去」なんです。「犯罪者の子」「犯罪者とされた者の子」、また、「親が犯罪者」「親が犯罪者とされた者」と言われ続けるわけです。

そのようなことはあってはならないことだけれども、それが現実かも知れないのです。

しかし、松本さんも、あるいは、松本さんの兄弟姉妹だって人格をもった一人の人間なんです。そして、個人として尊重されなければならないのです。

松本さんだけではない。あなたの近くにいる人がもしこのような境遇にいたらどうでしょうか。「自分の子が犯罪者」「自分の子が犯罪者とされた」という場合の親も同じ立場に立たされると思うのです。

この裁判は、そういう立場に立たされた者が、生きていくために、そして、個人の尊厳を取り戻すために行っている裁判なのです。

まさに、「血による偏見」が存在するのです。「親が犯罪者だから」「子が犯罪者だから」。このような視点でその人を見るのは許されないはずです。

「血による帰責」は現実に起こっているのです。また、この国では、今後も起こり得ることなんじゃないかと思うのです。

わたしが20年を越える間、松本さんあるいは一時期、また、現在でも、その兄弟姉妹の一部をサポートしてきた、あるいは、する根拠は、個人の尊厳なのです。

よろしくお願いします。

【当法人からのお知らせ】

当法人から裁判支援のご協力に際して、次のとおり、お伝えしたいと思います。

第1に、ご支援、ご協力は、裁判の実費、弁護士費用の支払いなどに使わせていだきます。

もし、これらに充当しても、さらに余剰が出た場合は、この訴訟の上訴審(控訴審及び上告審並びにそれらの付随的裁判)の実費や弁護士費用に充てたいと思います。

第2に、ご支援・ご協力の内容とそれに対するお礼等の対応について

ご支援。ご協力の額

5000円

当法人から裁判の期日、進捗状況をメールでご報告します。

なお、進捗状況については口頭弁論期日等公開の法廷で期日が開かれるときにはそのままお伝えすることができますが、公開法廷ではない会議室等で裁判官、原告、被告で進行を行う「弁論準備手続」等の場合は、その期日のお知らせ以外に内容をお伝えすることに制限があります。

そのときはお許しください(例えば、「○月○日弁論準備手続が行われる。この期日で原告は準備書面(1)を提出、被告は準備書面(1)を提出」との程度になります)。

 

10000円

当法人から裁判の期日、進捗状況をメールでご報告します。
進捗状況をお伝えすることについては上記を参照してください。

 

50000円

当法人から裁判の期日、進捗状況をメールでご報告します。

進捗状況をお伝えすることについては上記を参照してください。
第一審の判決の主要部分を含む最終報告書をメールでお送りします。

※ただし、閲覧等制限がかかっている事項についてはお知らせできませんのでご了承ください。

 

100000円

当法人から裁判の期日、進捗状況をメールでご報告します。

第一審の判決の主要部分を含む最終報告書をメールでお送りします。
判決後、できるならこの方々に裁判の経過等を口頭で松井弁護士から報告させていただきたいと思います。

※ただし、閲覧等制限がかかっていることについてはお話ししたり、お知らせしたり出来ないことになると思います。

なお、いずれの場合も、ご報告した内容について、形式を問わず「公開」あるいは「公開」と同じような効果を持つ情報の流通(以下、「公開等」といいます)はしないようお願いいたします。「公開等」が発覚した場合は、それ以降のご報告を止めさせて頂くことがあります。

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